アラサー1ヶ月傷心旅行、フランスにて。

失恋をきっかけに、大好きなフランスを1ヶ月ひとり旅。春からは北アフリカ生活。

終わりはいつも切ない

 

昨日今日はマルセイユ近郊の海岸沿いを満喫。

もうあとの旅路は、いよいよ最後のニースのみ。

ニースを基点に他にも小さなところを周るのだけど。

 

長いと思ってた1ヶ月の旅も、残り4日。

ずっとひとりで旅しているのはさみしさもあったのに、終わることにも何故さみしさを感じるのだろう。

 

いつも、何かの終わりが見え始めた時、どこかさみしくなる。

(そういうさみしさみたいな、切なさを感じるのは嫌いじゃなかったりする。)

また新しい日々になって、いつかまたその日々の節目が来て。

またさみしくなって。

人生って、そういうものの繋がりなのだろうか。

 

住んでいる町、一緒にいる人が変わらなかったとしても、常に何もかも全く一緒なわけはない。

例えば、ずっと一緒にいるパートナーが居たとしても、相手も自分も1秒ずつ肉体的には老けているはずだし、こどもが居たとしても、こどもも1秒ずつ大人になってるのだろうし。

一回息をしているごとに、死ぬまでのあいだに呼吸する回数は減るわけだし、アラサーなのできっと細胞も減ってる。

永遠とか終わらないものなんて、死っていう事実ぐらいなのかなぁ。

 

ちょっと話が脱線したけど。

節目の後、つまり新しい日々の中でも、私はまた自分なりに楽しんだり、色んな事を感じて考えたり、どこでだって生きていけるのだという感覚があるのだから、終わりの積み重ねも楽しんでいくんだと思う。

 

こういうオチのない話を、1人の時に考えたりしています。。。

(論理的にまとめて表現するのは苦手だし、そもそもオチがないのを楽しんでいる嫌いがある。)

 

 

以上。