終わりはいつも切ない
昨日今日はマルセイユ近郊の海岸沿いを満喫。
もうあとの旅路は、いよいよ最後のニースのみ。
ニースを基点に他にも小さなところを周るのだけど。
長いと思ってた1ヶ月の旅も、残り4日。
ずっとひとりで旅しているのはさみしさもあったのに、終わることにも何故さみしさを感じるのだろう。
いつも、何かの終わりが見え始めた時、どこかさみしくなる。
(そういうさみしさみたいな、切なさを感じるのは嫌いじゃなかったりする。)
また新しい日々になって、いつかまたその日々の節目が来て。
またさみしくなって。
人生って、そういうものの繋がりなのだろうか。
住んでいる町、一緒にいる人が変わらなかったとしても、常に何もかも全く一緒なわけはない。
例えば、ずっと一緒にいるパートナーが居たとしても、相手も自分も1秒ずつ肉体的には老けているはずだし、こどもが居たとしても、こどもも1秒ずつ大人になってるのだろうし。
一回息をしているごとに、死ぬまでのあいだに呼吸する回数は減るわけだし、アラサーなのできっと細胞も減ってる。
永遠とか終わらないものなんて、死っていう事実ぐらいなのかなぁ。
ちょっと話が脱線したけど。
節目の後、つまり新しい日々の中でも、私はまた自分なりに楽しんだり、色んな事を感じて考えたり、どこでだって生きていけるのだという感覚があるのだから、終わりの積み重ねも楽しんでいくんだと思う。
こういうオチのない話を、1人の時に考えたりしています。。。
(論理的にまとめて表現するのは苦手だし、そもそもオチがないのを楽しんでいる嫌いがある。)
以上。